ホテルを守り、災害に挑む男・異色のホテルマン参上!?中村毅雄が向かう場所 <前編>
ホテルはどうあるべきか――
そんな問いかけの答えに、間違いなくこう答えるだろう男がいる。
「宿泊されるお客様やそこで働く従業員にとって、安心してその身を預けることができる施設であること」
——であるならば、いかなる状況においても、ホテルはそれに応える施設であり続けなければならない。社会の公器としてのホテルの使命だ。
そんな使命を自ら担い、今日も全国を駆け回る男がいる。
「ホテルスタッフの元に、一刻も早く駆けつけたいんだよね」
そう言って、細く優しい目が、より細く優しい眼差しになるのは、ホテルの設備、改修工事、メンテナンス、そして植栽にまで及ぶ、ホテルの建物を守り続ける男・中村毅雄。
今年60歳を迎える中村は、ルートイングループの創業当時を知る、数少ない社員のひとりである。
ルートイングループと共に駆け抜け、40年以上の長きにわたりホテル施設とお客様、そしてそこで働く従業員を支えてきた男が歩んできた道、守り続けたもの、そしてその想いを紐解く。
子供の頃の憧れを叶えた男
9歳の魂60までも
「建築っていいな、かっこいいし、楽しそうだ」
と、小学校3年生の少年・中村の心に刺さったのは、大工をしている叔父が自宅を建て替えてくれた時だった。杉良太郎に似た、かっこいい叔父だ。
「目の前で出来上がっていく我が家と、ものづくりの職人の凄さを目の当たりにして、この道に進むと決めたんだよね。その親方も憧れるくらい格好良くてね。」
そして、それに留まらず、「自分の家を、自分で建てる」ことも、この時に同時に心に決めた。
学生時代は将来、自分で建てる家を想像し、時間さえあればノートに設計図を描いた。とにかく早く仕事がしたい、いや自分の家を建てたくて、専門学校に進む時間ももったいないと、ルートイングループの出発点となる地元の建設会社「永山建設」の門を、迷うことなく叩いたという。
ここから、やがてルートイングループのホテル建設の礎となり、今も全国のホテル施設とスタッフを守り続ける男の人生が動き出したのである。
入社2か月目の現場監督誕生
入社後、新人として建設現場の清掃やゴミ拾い、基礎工事や足場のパイプを運んだり、の毎日がしばらくは続くもの、と考えていた。いや実際にそれもこなした。
ところが、入社2か月の18歳の中村に、とんでもない任務が与えられた。とある公民館の新築工事の現場監督である。
当然、まだまだ見習い期間、覚えることもたくさんある時期である。新人として、先輩の担当現場の仕事も掛け持ちだったという。あまりにも無謀だと誰もが危惧し、中村の心中を察するに余りあるが
「いや~、楽しかったね。何から何まで自分でやる。それが楽しいし、これはチャンスだと」
40年以上前の話だとしても、当時の社長は何を考えていたかは定かではないという。先輩伝手に
「中村はどうやって一人でこなしたのか不思議でならない」と社長が驚いていたというから、真相は藪の中だ。
「当然、知らないことや経験がないことばっかり。実は教科書見ながら、足場を組んだりしましたよ」と当時を懐かしく思い出すように振り返る。
※当時の話です、当時の・・・。
とにもかくにも、真相はさておき賛否あれど、若くして現場責任者を任され、鉄骨4階建のマンション建築にも携わり、ほかでは考えられない経験を積んだという。それらすべてが中村の血肉となり英知をもたらし、強靭な精神を育み、今の中村に繋がっていることは間違いない。
当時の社長、現会長からよく聞く言葉がある。
「その仕事、その責任、そのポジションが人を育てる」
・・・なるほど、そういうことか・・・。
中村を励まし続けるもの
事業の多角化に伴い、これまでのマンション、住宅建設から、そしてホテル事業へとシフトしていく中で、県外へと事業エリアも拡大していった。
県外初出店は山梨県だった。その建設工事の担当責任者についたのが、中村にとって代えがたく忘れがたい同僚だった。彼とは高校を共に過ごしたが、中村は就職、彼は専門学校へ進む。
しかし2年後、その彼は知ってか知らずか、永山建設に入社してくるのだ。
会社では先輩となった中村ではあったが、県外初出店のホテル建設の責任者に指名されなかったことが、悔しくて悔しくてたまらなかったという。
よき友、よきライバルとして過ごしてきた二人であったが、その同僚を重い病が襲った。享年55歳であった。中村が見てきた景色の中に、居て当たり前だったその姿が、消えてしまった。
ある時の、会長と共に見舞った話をしてくれた。
病気に負けるな、元気になって帰ってこい、と祈るような気持ちを込めて、とにかく仕事が好きだったという彼に
「いつから会社に来るんだ」という言葉で、会長は励ましの激を飛ばしたという。
すると、ベットの弱々しかった姿から勢いよく身を起こし、そして
「月曜日から行きますっ!」と、力強い口調で答えたというのだ。
皆の気持ちを汲んでそう答えたのか、もとより、どこまで理解していたのかわからない。けれどこれは、彼の強い想いであったのではないかと思う。
「長い時間を共に過ごしてきたのに、彼の体調に気づくことができなかった。悔やんでも悔やみきれない」今でも忘れられない姿だという。
いつも「彼の分まで頑張らなくては」という、強い思いに突き動かされる。
時代の変化と共に、変わりゆく激動の時代を共に乗り越えてきた。その存在は無二の心の支え。今も中村を励まし、仕事へと駆り立てる。
ホテルを支える異色のホテルマン
木を植える男
今も昔も、当社のマンション建設やホテル建設で欠かせないアイテムがある。それは「植栽」だ。
ともすると無機質になりがちなホテルの建物に、自然の象徴である樹木をふんだんに配置している。
この植栽を担当しているのも中村だ。
「木を植えることは、ホテルの建物に魂を入れること」と中村は言う。
そこに訪れる人、宿泊されるお客様、そこで働く仲間のために、木を植える。変わりゆく四季折々の美しさを映し出すかのように、ホテルが呼吸し始め、命が宿る。
その場所が、誰にとっても喜ばれる、緑に囲まれた優しく癒しのある施設であるために、中村は今日も木を植えるのである。
車で全国を飛び回る男
中村は、全国のルートインホテルズの建物の修繕やクリーニング、設備のメンテンナンスを統括している。全国各地に配置されている設備担当者100名と共に、その対応にあたる。ご宿泊のお客様にとっても、そこで働く従業員にとっても、欠くことができない重要な業務だ。
「地震や大雨など、災害が発生すると、たいていはそこにホテルがある。水が止まったり建物が破損したりね。そうすると色んな機材や物資をトラックに積んでいかなくちゃならない。その時に、あのホテルには車でどのくらいかかるか、どの道を行けばいいのか、ちゃんと知っておくことが大事なんだ」という。
だから、中村は可能な限り、全国のホテルへ「車で行けるところは車で行く」のだという。地図ではわからない現地までの道のりを、中村は常に頭の中で最速最適なルートをナビゲートしている。
安全と安心を届けるホテルマン
中村を「ホテルマン」と呼ぶには違和感があっても当然である。
確かに、中村はホテルのフロントでお客様に応対することはない。料理を作ることもない。笑顔は最高に接客向きではあるが…。
けれど、常にホテルが建つ現地に思いを馳せている、ひとりのホテルマンである。
ルートイングループは、ホテル開発から設計施工、ホテル運営はもちろん、施設のメンテナンスまで、トータルでホテル事業を行っている。
役割や業務内容は違えど、その仕事の先にあるもの、行きつく先に誰がいるのかを知っている。
ご利用いただくお客様を見据え、全従業員がその役割を通じてバトンを繋ぎながら、お客様をお迎えしている。
中村も、ホテルの施設管理、植栽、設備メンテンナンスといった、安全で使い心地のよい建物を提供するホテルマンである。
ホテルの表舞台にいなくとも、間違いなくお客様のために奔走している、異色のホテルマンなのである。
次回は・・・
地震、台風、洪水などの自然災害がもはや珍しくなくなった日本。東日本大震災はもとより、熊本地震、そして今年の元旦を襲った能登半島沖地震など日本各地に甚大な災害をもたらしている。
年々、日本各地にホテルを出店してきた当社は、自然災害は常に隣り合わせである。災害発生時に、異色のホテルマンは何を想い、何をするべきか―—
中村を突き動かす想いに迫る。
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