ホテルを守り、災害に挑む男・異色のホテルマン参上!?中村毅雄が向かう場所 <後編>
地震、台風、洪水などの自然災害がもはや珍しくなくなった日本。
東日本大震災はもとより、熊本地震、そして今年の元旦を襲った能登半島沖地震など、日本各地に甚大な災害をもたらす自然災害。
全国各地に出店する当社にとって「災害地には、ルートインホテルズあり」と言っても過言ではなく、災害と常に隣り合わせである。
そして、その恐ろしさと脅威を、身をもって知っている。
災害に挑む異色のホテルマン・中村を、被災地へと駆り立てるものはなにか——。その心意気と想いに迫る後編をどうぞ。
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ホテルを守り、災害に挑む男・異色のホテルマン参上!?中村毅雄が向かう場所 <前編>
東日本大震災発生。
2011年3月11日14時46分。
忘れもしない、国難と言われた大災害。東日本各地での大きな揺れや、大津波・火災などにより、東北地方を中心12都道府県で2万2,318名の死者・行方不明者が発生した。福島第一原発の事故も同時に発生し、日本が不安と恐怖の大混乱に陥ったことは言うまでもなく、人々の記憶と歴史に刻まれている大災害である。
これまで、沖縄の台風や河川の氾濫による災害対応はあったが、年々拡大するホテルチェーン網により、特に東日本に数多く出店していた当社は、実に51店舗に及ぶ建物が大なり小なりの被害を受け、そして多くの従業員が被災した。
今年の元旦を襲った能登半島沖地震もしかり。正月気分を一気に暗く染め上げた大災害だ。火災も発生し、観光客は必ず訪れるだろう河合町の朝市が焼け朽ちていく映像は衝撃であった。
そして、その火災のニュース映像に映り込んでいた大きな建物をご覧になった方もいるだろう。街並みに馴染むよう設計された、2棟の施設が並んでいるホテルルートイン輪島である。
中村を突き動かすもの ——被災者にはならない、の心意気
ホテル施設は、社会のインフラとして災害時には避難所にもなり、欠かせない拠点になる。また、期待される機能を有している。
だから、いつでも「被災者にはならない!」と奮い立ち、私たちは歯を食いしばって立ち上がる。住む家を失い、避難所生活を余儀なくされたスタッフも、それは同じだ。
ホテルを生業とする私たちの願いは、その街も住む人も、一日も早く元の姿と生活を取り戻すこと。時に地域住民の方に大浴場を解放し、飲料水も配布する。
私たちが被災地において担う大事な使命のひとつが、復興活動が早く進むよう、医療活動や復興事業の方の宿泊拠点としてホテルを直ちに再開することにある。決して容易なことではないけれど、目の前に立ちはだかる壁に挑み続ける。
目立たない役者である。が、地域の復興のために、人のために、ホテル業が果たす役割を知っている。これは当社が掲げる企業方針
「独自の道を開拓し、社会に貢献し 必要とされる企業をめざす」
の社会貢献であるからだ。
私たちは、皆で口にする。
「被災者にはなるまい。復興の影の立役者であらん」と挑み続ける。
現地で奮闘する従業員の心意気は、当社の誇りである。
中村を突き動かすもの——頑張っている仲間に応えたい
災害発生の一報は、中村率いる施設部の精鋭たちにとって、ホテルの設備、建物の被害状況の確認はじめ、ホテルスタッフやお客様を守るための
「すぐに現地に出動せよ」の合図、音なき警笛となる。
現地にはご宿泊中のたくさんのお客様やそこで働く従業員もいる。直ちに災害対策本部が発足すると同時に、中村は必要な物資と機材を積み、施設部の精鋭と共に現地に向けて出発する。
中村は誰よりも早く現地に駆けつける。ホテルの建物の状態と安全性を確認し、必要な修繕や足りない物資を調達する。その助けを今か今かと待っている人たちがいるのだから。
このストーリーの前編で語った中村の言葉はこうだ。
「ホテルスタッフの元に、一刻も早く駆けつけたいんだよね」
この言葉の続きには、中村の人を思い、仲間の無事を願う、強く優しい生き方がある。
「災害が発生すると、たいていその地域にうちのホテルがある。現地では、自分の家が被害にあったとしても、避難所から出勤し、必死でホテルを守り、お客様に対応しているスタッフがいるんだよ。だから、その姿と気持ちに応えたいし、一刻も早く必要な物資と機材を積んで駆けつけてあげたいんだ。頑張っている仲間を助けに行かなきゃならないんだ。」
現地で働く従業員は、被災者という一面を併せ持ってしまう。避難所生活を余儀なくされ、大事な家族を失った従業員もいた。着の身着のまま飛び出し、生活基盤が失われ、働くどころではない精神状態と環境に追い込まれた多くの従業員が、確実にそこにいる――これがルートイングループの、自然災害における現実。
「自分には責任がある。」
と中村は言う。
ホテルという建物を守り続けるというプロ意識と共に、自分についてきてくれた仲間に対しても、責任があるのだという。
だから、先のことを憂うよりも、今やるべきこと、今必要なことを見逃さずに、全力で取り組むのだと。そんな心意気でやってきたら、いつの間にか42年が経っていたのだと振り返る。
ホテルはどうあるべきか――
前編においても同様の問いかけをしている。
「宿泊されるお客様やそこで働く従業員にとって、安心してその身を預けることができる施設であること」
そして、中村はこうも言っている。
「災害時に、復興の拠点として機能するためにも、強くて揺るがない安全なホテルであるべきなんだ。」
強くて安全な建物だからこそ、災害時においてもホテルの存在意義が発揮され、社会に貢献できる。もちろん、災害は起きないことが一番である。
しかし、その発生を封じることはできない。私たちは災害が起こった時のことを常に想定しておくしかないのだ。
その時、ホテルはどうあるべきか、の問いに唯一の正解はないが、災害地において街を照らし、人と地域の希望となり、災害に負けずに共に乗り越えようというエールを送り続けること——
これが異色のホテルマンの揺るぎない決意と願いであり、中村の真骨頂なのかもしれない。
これからも人とともに、そしてホテルを守り続ける男
ルートイングループは、今年創業50周年を迎えた。
その歴史の中で、これまでの体を張った貢献と実績が評価され、ルートイングループ50周年アワードで功労賞を受賞した中村。
緊張の趣でステージに上がった中村は、プレゼンターである会長の永山が目の前に立つや否や、細い目からこぼれる涙を抑えられず、男泣きに泣いた。
「中村は本当に言うことを聞かないんだ」と言いながらも、創業から今日までのルートイングループの長い月日を、中村と共に体を張ってきた永山会長も、こみ上げるものを抑えられなかった。
目がなくなる笑顔と日焼けした顔の皺ひとつひとつに、間違いなく会社の歴史が刻まれている異色のホテルマンは、今日も、これからも、その想いを満タンにして、日本全国に届けている。
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